演出家 松永太郎さん
☆郷土芸能をこよなく愛し、次世代に繋げ育てる演出家
ヒメヒコ歴:18年目
鹿屋市出身。県立鹿屋高校~筑波大学を経て、沖縄に移住。2006年より故郷の鹿児島を中心に演出家として活動を始め、鹿児島や黒潮文化を題材としたミュージカル「ヒメとヒコ」や「ヤジロウと海乱鬼」「えらぶ百合物語」などを手がける。2015年の第30回国民文化祭かごしま2015では、総合開閉会式やミュージカル「花戦さ」の演出を行った。「ヒメとヒコ」キャストのOBやOGが在籍する鹿屋市発の「劇団ニライスタジオ」代表でもあり、2022年12月には「吾平物語」イベントの中で初披露となった「吾平神楽(かぐら)」の演出を手掛けている。
(赤字)― メインインタビュアー
(青字)― サブインタビュアー
(黒字)太郎さん
― よろしくお願いします。
― よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
― 早速ですけども、今年は公演が9月っていうことで、まずすごくスパンが短いんですよね。それは最初、いつ頃分かったんですか?
年度始まってからですかね。
― そうだったんですね。急ですよね。
そうですね。決定したのは年度始まってからなので、いろいろどうするかっていう議論はしてたんですけれども、ただ最終的にダンス部とかといろいろ可能性を探っていって、もうじゃあ、休館する前にちょっと頑張って間に合わせましょうっていうことになりました。
― そうなんですね。その中で、いろんなことを皆さんと考えたり、太郎さん自身がお考えになったと思うんですけど、やっぱり短い期間での練習とかお稽古になるので、メンバー達をどういう風にスケジューリングしていくのかっていうのは、どのように考えられましたか?
もう、今まさに凝縮しているところで。本当は倍ぐらい時間があるわけじゃないですか。
― 半年ですもんね。
時間っていうものは、単純に練習時間だけじゃなくて、過ごした時間の長さっていうものも、チーム作りには大事な要素なので、そういう意味では、やっぱりちょっとまあ苦労をかけてるかなというか、無理やりここまで持ってこないといけない期間、急な坂道を登らせるみたいな感じではあるんですけれども、でも全く初めてではないですし、過去にも夏にこういうイベントがあったので、まあ、なんとか今ギリギリ本番が見えるところまで来たって感じです。
― もう来週ですもんね~。
見えてないと、まずいんですけど(笑)
― (笑)そうですよね~。
― 新人の人たちも、9月までに組み込まないといけない訳ですからね。すごいですね。
― 数ヶ月の子もいるわけですよね。でもだいたい5月のイベントの時に、必ずみんな出演してちゃんと踊ったりとかできているので、やっぱりみんな覚えも早いし、好きなことで頑張ろうという気持ちは、すごく表れているので。
― ということは、太郎さんの今回のオーディションは、どういうキャストになるか、相当考えたんじゃないですか。
オーディションは実力を見るという部分もあるし、大事なのは役との相性ですね。今回、脚本自体が、「始まりの章」という名前を付けているんですけど、「原点回帰」しているので、 そのまた作品を上手く表現できるキャスティング、というのはもちろん考えていますね。
― そこもちょっと、詳しく聞きたいなというところなんですけれども、「始まりの章」ということで、昨年が「第二章」で、今回は「原点回帰」って書いてあったので、元のところに立ち戻るんだな、という感じはしていて、「ゼロの章」?になるのかな、という感じはしたんですけれども、そういう今年のヒメヒコ公演にしようと思った経緯というか・・・。
第二章をやって、去年の第二章というのはやっぱり特別なものだったので・・・コロナが明けてとか、コロナでお客さんが入れられなかった時代の先輩も一緒に出るというのは、特別なものだったので、今年どうしようかなと思った時に、これまでの公演の映像を見たり、台本を読んだりして、最初の頃ってこうだったな、というのを自分でも思って、ヒメヒコの中でも、「歴史を学べば自分がわかる」と歌っているくらいなんですけれども、今度は自分たちの歴史を見つめ直した時に、古臭いじゃなくて、一周回って、自然にすごく「自分自身」を感じたので、僕自身はお客さんが飽きないように、どんどん変わっていこうという風に思ってやってきたんだけれども、振り返ったら、当時の自分たちが作っていたものというのが、またすごく新鮮に感じたりする。ってなると、お客さんも多分、それは新鮮だろうな、という風に思って。
― 自分たちの歴史を振り返る、というところが、また今回はすごいことですよね。それでちょっとこの前、取材でお稽古を見させていただいた時に、全くその時の台本をそのままされるのかなと思ったら、そうでもなくて、キャストの皆さんに合わせていたし、太郎さんの新曲とかもあったし、またまた新しいものだなって。
そうですね。ベースは初期の台本をベースにしているんだけど、演出は今のメンバーの演出をしています。
― だから、楽しいなと思いました。新鮮、というのももちろんありますけど、前からずっと来られているお客さんも、楽しくて、たぶん懐かしい。
懐かしいって、絶対に思いますよね。その初期のヒメヒコを知ってるお客さんは、もう。
― 常連さんが多いから。ファンがね。
新しいファンの方には新鮮で、古くからのファンの方には懐かしい。
― 新鮮さと懐かしさ。
― そこでまた新しいキャストの子たちが、また新しいカラーを持っていて、それを太郎さんの演出で、また今回すごく生き生きとしていますよね~。今回も元気のいい子が結構いるから、楽しいです。全部見ていないんですけど、楽しみにとっといてはいるんですけどね。この前練習してた、バンドメンバーの方もね、あ~、この曲なつかし~とか言って、すごく懐かしそうにやっていましたよね。
そうそう。
― 今年のキャストの皆さんは、どんな感じですか? 結構新しい子が入ってくれて、良かったなって思っていますけど。
― 結構、小学校とか中学校からヒメヒコを観て、高校入ったら入りたい、という子たちも入ってきますよね。
― そうそう。憧れててね。
― それってなかなかないことですよね。学生という枠の中では。
そういう子たちとの出会いっていうのは、楽しいですね。
― 何年も思いをためてきてるから、感覚が違うでしょうね。
― 今年も何人かいたよ。小学校の時からとかね。プラス、今の学生時代、生き方にちょっともやもやがあって、なかなか自分も出せなかったりとか悩んだりしてる子たちも、やっぱりきっかけがあって入ってきて、ヒメヒコに入ってすごく癒されるっていうか、居場所をちゃんと見つけられて、すごく明るい感じで過ごしてるっていう子もいるから、うん、本当にそういう意味で今年のキャストは、ものすごい前向き、積極的っていうのが感じられました。
演劇っていうのは、自分を剝(む)き出しにしていく活動なので・・・最初はやっぱり大人でもそうですけれども、なかなかですよね。そういう部分っていうのは。だけど、そこをなるべく若いうちに体験しておくっていうのは、いいことのような気はしますよね。
― 自分を剝き出しにするってことを、大人でも経験してもいいですよね。
自分を客観視しつつ、自分の苦手なこととか、弱い部分を直視していかなくてはいけないし、いろんな心のトレーニングというか・・・。
― 心のトレーニング・・・それは特に大きいと思いますね。 先ほどおっしゃった、過ごした時間の長さっていうのは、ヒメヒコの時間だけじゃなくて、学生時代、そこに住んでる鹿屋の時間全体に影響しますよね。やっぱり濃い時間がね、それを中心に動くって。
一回離れる子たちも多いですから。高校生のタイミングでいうと、高校卒業して鹿屋離れるって子たちが多いので、そういう前提で、ここでどういう体験をしたかっていうのは、その後の人生に、いろいろと少しでも影響があったらいいなと思うんですけどね。
― それは絶対ありますね。
― やっぱり(帰省やUターンで)帰る理由が、ヒメヒコメンバーに会おうっていうことが、多々あるんですよね。その繋がりがなかったら、帰る理由もなく、遊ぶ友達もなくっていうのもある。そこは本当に一生の繋がり、鹿屋での友達であり、太郎さんや館長を含め、関わりのあった周りの大人であり、そういう繋がりができたっていうのは、本当にすごいですよね。
― おおすみ、大好きっていうのがね、本当に伝わる。
― 太郎さんが、そこまで先のことを考えてくださっているっていうのは、本当に感謝ですよね。子どもたちにとっては、本当に宝物というか。
卒業して数年たってから、あの学生時代には思わなかったけれども、振り返ってこの体験は自分にとってこういうものがあったんだっていうことを、何年もたってから連絡くれる子とかもいます。あの頃はこういうことは思ってなかったけど、今になって、社会人として経験を経て、今振り返ってみると、あの時の経験というのは自分にとってこういうものだったとか、いろいろ新しい意味合いとかを見つけてくれる子もいるんで。
― へ~、そうなんですね。
― それは分かるなぁ。みんな人生どこかで何かしら、ぶつかりますからね。その時は原点回帰、なのかな。そういう意味で。
自分が自然と選択してきた、そこから先のこととか、こういうことが自然とパッとできたとか、そういうのがよくよく考えたら、高校生の時に、ここで当たり前のように毎日毎日やってたことがやっぱりあったから、自然とこういう職場での選択ができたとか、こういうことができたとか、っていうのを言ってくれる子はいますね。
― そうなんですね。なるほど~。やっぱりヒメヒコで過ごしたことの、一つ一つの経験とかね、その時に培ったものっていうのは大きいですよね。公演の時にも帰って来てくれたりして、知らない後輩とか、自分たちの活動を続けてきてくれた後輩たちに対しても、同じ仲間の思いというかね、そういうのもきっとあるし、後輩たちも、知らない先輩でも「ああ、そうなんだ、先輩なんだ」っていう感じで。
それは面白いですね。直接は面識がないんだけど、それ(ヒメヒコ)で繋がっているというか。
― 自分を剝き出しにするっていう、その感覚を共有している仲間っていうのは、普通の部活とは違いますね。
演劇が持っている独特なところっていうのは、あると思いますよね。それは本当にスポーツなんかと違って、こういう演劇とか芸術的な種目というか、だからこその苦しみもあるんですよね。辛いことって、もちろんあると思います。やっぱりある意味、見栄えを評価されるわけじゃないですか。芸術種目というのは。だから、そういったところとも向き合っていくしかないし。
運動っていうのは極端な話をすると、見てくれどうでもいいから、パフォーマンスですよね。尺度っていうのも一つあって。だけどやっぱり芸術的なものっていうのは、尺度は個人の感覚なので、納得いかないっていう思いが出るんですよ。それはもちろんだけど、そこをどう納得していくか、というか、納得いかなくてもいいんだけど、やっぱり、ふてくされていても何も変わらないというか、どう自分と折り合いをつけて前に進んでいくか、ということは、他のスポーツ種目とかとは、ちょっと違うところがあると思います。
自分は負けてると思ってないのに、っていうようなことって、あり得るわけじゃないですか。これはね、芸術的な要素があるものっていうのは全てそうですけれども、自分の方が上手いと思うのに、評価されないっていうのは、本人にとっては、とても理不尽だっていう思いになると思うんですよ。でもそれを「理不尽だ」って言ってても、やっぱり状況は変わらないわけで、そことどう折り合いをつけていくかっていうのは、なかなか大人になっても、難しいことだと思うんですよね。
― 特に公演、舞台っていうのはみんなで作り上げるっていうところがありますし、それぞれのキャスト、キャラっていうのがあるので、まさにそれが入り混じっているもので、一つの完成品を作っていくっていうことだから、本当にそういう意味で学んでいって、そこで最後に出るものが何かっていうところですね。 公演っていうのが一つのゴールだとすると、そこに向かって自分をどう高めていくか、そこまでに、自分をどう高めて、今おっしゃったように、どう折り合いをつけていけるのかっていうところを、すごく深く悩んでいると思いますね。当の本人たちは。
そうなんですよ。だからまあ、その本番だけ見て、表面的にはいろんなことが上手くいって、みんなもいい気持ちで、っていうふうに見えるかもしれないんですけど、そんな年なんて一回もなくて、みんな直前まで悩みながらで泣いてぶつかって、というわけですよね、実際っていうのは。だけどそれを、悪いものっていうふうに思ったり、隠そうとするほうが不自然で、どっちにしても17、18歳っていうのは、ぐちゃぐちゃにもまれて自分も変化していくし、そういう迷い悩む時期なので、思いっきりそうしてもらって本番に立つと。それは下手に隠さないでっていうか。でも見てる人には、どっかでそれが伝わってるんじゃないかなって。たぶん、そのキラキラしてる裏には、たくさんの葛藤とか迷いとか悔しさとかがあって、でもそれでも、いろんな思いはあっても、ここでこうやってお客さんの前で演技というかですね、ちゃんと堂々とパフォーマンスしてるんだろうなっていうのは、どっかで伝わるんじゃないかなって思うんですよね。本気でやってるんだろうな、っていうのはですね。
― そう。本気でやってるっていうのは、それは絶対、伝わりますよね。
だから、たまによく「あれだけの人数をまとめてますね」って言われるんですけど、まとまるわけなんかないですよ(笑)まとめられるわけないじゃないですか。いいんです。そのまんまで。
― (笑)そうか、だから生き生きしてるのかもしれない。
まとめようと思って、まとまるはずがないですからね。こんな若者が。まとまってたら不自然ですからね。
― まとめてしまったものっていうのは、そういう風にしか見えないですよね。
そう思うんですよね。それはもう、調教のようなことをすれば、まとまるのかもしれないですけども、そういうものじゃないと思うんですよね。
― 17、18って、大人との境目な時期です。演劇でそこの内面的なところをずっと見てくるわけですから、普通はその経験がないですよね。一方的に抑えつけるわけじゃないので。
― だからその辺が太郎さんの、さじ加減が上手なところだと。どこまでその子たちを解き放てるかっていうか。
だからこういうのはもう、マニュアルにできないですよね。トレーニングとか、さっき言ったように、調教みたいなものだったらマニュアル化できると思います。でもそれはできないですね。毎回違うから、パターンっていうのはないし。毎回一緒に考えていくしかない。まぁ、だから新しいことばっかりですよ。もちろん、18年経ったら18年前と今の高校生は違っているし、社会が変わっているから違って当然ですし、僕自身ももちろん変わっているわけだから、それ言ってもしょうがないわけですよ。変わっている、みんな変わり続けている中で探していくしかない。
― そういう意味でも、毎回毎回新鮮ですよね。
楽だった、なんて年は一回もないですけどね。当たり前ですけど。何年やっても楽ではないです。楽ではないけど、楽しいですよね。答えがないから楽しいです。
― 私には全然分からないんだけど、普通に外部から見ると、メンバーを見て、流れ的にこの人がこの役になっているんじゃないかと思うんだけど、毎年全然違うというか、想像とは違ったりすることがあります。
よく言われますね、それは。
― それもオーディションの中で、スパッと決めてるんですか?
いや、もう普段の練習の時からずっと見てて、いろんなオーディションまでの練習、全部見ていますね。
― 引き出しが意外と多い子とか、いろいろあるんですか? 初期の段階で。
もう見えてきますね。それに触発されて、僕がまた演出を作っていくっていうことが、おおいにあるので。
― だからその子の演技が生きるというか、その子が生きますよね。
その子がその役だから、こういう台詞ができた、みたいなのがいっぱいあるんですよ。で、新しいことができたら、本人も「こんなことができたんだ」って自分を発見するんで。そこからまた、さらに進んでいくとか。
― 監督に引き出しが多いからできるわけですね。
まあ、お互いですよね。あれこれ試して、とにかく試してね。「こうじゃなきゃいけない」っていうのがあったら、それはやっぱりできないので。だからもう、マニュアルにしようがないんですよね。
― またそれが楽しいところですね。
毎回、新種の植物を育てるような感じです(笑)
― (笑)そうそう、そうですよね。
毎回違う種が来るってことですよね。だからどういう養分が好きかとか、どのくらい水が必要かみたいなのは、やりながら考えていくんですよね。
― 枯らしてはいけないですからね。ふふふ。
もうとにかく枯れないようにやるんだけど・・・毎回種子が違うんですよ(笑)
― それ、楽し~い。でも、やっぱり気も遣いますしね。よく見て観察して調べてってしないと。ほんと植物と一緒ですよね~。
植物と違うのは、周りの影響を受けることですね。人と比べるのがやっぱり人間なんで、どうしても差が出ると言いますかね。「人と比べなくていいよ」って言っても、やっぱり比べるものじゃないですか。だから「隣の花の方が育ってる」って言って、へこんじゃうこともあるわけですよ。・・・だからもう、難しいです。
― 本人が自分の才能とか、気がついてないっていうことも多々あるんですか? というか、やっぱりそれを引き出してあげる感じですかね。
引き出してあげてるというか、引き出すきっかけになるんでしょうね・・・演劇っていうのが一つの。なので演劇っていうのは、さっき言ったように、物差しが一つパンって決まってるわけじゃないからこそ、いろんな物差しがあるので、それを引き出しから持ってきて、この物差し当てたら、この子は案外高得点が出るなっていうのを探す作業ですよね。お互いに。僕は陸上やってたんで、スポーツだったらね、一個の物差し、超単一の物差しですべて測れるわけですよ。
― なるほど。演劇っていうのは、芸術だから違いますもんね。
そこはいい部分でもあり、苦しい部分でもありますけど。スポーツは説得力ありますよ。物差しが一つっていうところで、言い訳が許されないわけですよね。オリンピックとか見てて、やっぱり人々が感動するのは、どんなにその人の態度がどうであろうが、見てくれがどうであろうが、0.1秒早い方が、1センチ高い方が上だっていう世界だから、やっぱりはっきりしているので、勝ち負けが。だからこそ感動的なところもある。でも、芸術っていうのは、下手したら言い訳できちゃう。「自分は負けてると思ってない」って言えちゃうわけですよ。スポーツでは「負けたとは思ってない」なんて言えないですからね。僕はスポーツ出身なんで、その両方の違いというか、それぞれの良いところっていうのは分かります。
― (遠くで、練習の?叫び声が聞こえる)でも、ヒメヒコの中では(叫んだりすることが)自由にできていいですよね(笑) そういう何しても、何になってもいいみたいな。うふふふ。
叫び声を聞くとですね、嬉しいような、この後社会でやっていけるのかっていう心配と両方ですね(笑)
― (笑)でも本当、さっきの最初の話じゃないけど、自分をさらけ出せる場があるっていうのは、本当に大事だと思いますよね。特にこの時期に。高校生って、すごい微妙な時期じゃないですか。
― さらけ出して、それを繰り返してるから、本番で何かがあったとしても、カバーしちゃうでしょ。セリフが出てこないタイミングがあって、その時にフォローとかね。
ありますよ。そういうのは、よくありますね。
― 観客として観てる分には、失敗したとかダメだったとかないんですよ。これまでに一回もないんですよ。だけど本人たちはやっぱり「上手くできなかった」とか、その日泣いてたり、そういうこともあったりするみたいなんだけど。
直前とかに、「今日はこの子はこんな調子だから、これでいこう」とかって、ピンときたものをパッて投げることあるんですか?
あ~・・・ありますし、そういう意味で、直前でセリフ変えたりとかもありますね。
― なるほど、直前に。ふふふ。
― 直前?
それでも対応するところが、高校生のすごさです。それを見てる周りの大人が「もう絶対無理!」って、「そんな直前に変えるなんて、信じられない」って。
― (笑)
― (笑)
― 思い出した。いつの公演だったか、前の日か直前かに「ここをこういう風に変えよう」って言われて、「そんなの絶対無理!」って言ってたんだけど、ちゃんと公演ではそれできて、後からみんなで「できたね」みたいな(笑) その能力って、すごいですね。そういうのは、高校生だからってなるんですか?
あ、もう、まさにその通りです。大人になるっていうのは、だんだん守りに入っていくことだから。それはそれで安定感はあるんだろうけど、面白みがちょっと減っていくっていう(笑)自分もそうならないように、とは思うんですけどね。
― 本当にあと1週間で、公演です。
はい、もう、やれるだけやるしかない。
― でもいつも、太郎さんの演出は本当にすごい。もう、さすがっていう。いつも感動するので。うふふ。
いつも通り、この1週間前の今日現在、安心感は1ミリもないっていう(笑)寝れない日々が続きます。悩んで寝れないというよりは、「ああでもない、こうでもない」と考えたり、覚醒したりしちゃって、「ああ、こうした方がいいんじゃないか」とか。そういう意味で、日々が続いてます。
― ぎりぎりまで、考えますもんね。
― その中で本番を迎えるわけですね(笑)
(笑)ずっと頭の中で考えてますからね。・・・まあ、夜、目が冴(さ)えてしまうのは大変ですよね。昨日は寝て2、3時間でパッと起きちゃって、そっからもう寝れないから、ずっとあれこれ考えようとして、最後の最後は明け方になって、また寝落ちして、すぐ目覚ましが鳴って、うわって。毎晩これですよ(笑)
傍(はた)から見ると、何でもないように見えますけど、本人たちもみんな苦しんでるわけで、だから僕も一緒になってもがいてます。
― でもいつも、その苦労がちゃんと報われて、より完成度の高いものができていくという。そしてお客さんは、本番でのあのすごい舞台を楽しめるわけですね。いよいよ一週間後の公演が、本当に楽しみです♪
― 残りの一週間、本当に体に気をつけてください。
― 本当ですね。今日はお忙しい中、貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。
― ありがとうございました。
ありがとうございました。