鹿屋航空基地資料館
第二次世界大戦末期、鹿屋海軍航空基地からは908名、串良海軍航空基地からは363名の海軍軍人が特攻隊員として南方に出撃し、若き尊い命が失われました。日本で最も多く特攻隊員が飛び立った地・・・・・・ それが、この鹿屋です。「過去」を学び「今」を知り、そして「未来」を考える場所です。
小塚公園
(旧鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔)
(旧鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔)
鹿屋基地から特別攻撃のため沖縄へ飛び立った908名の若き特攻隊員の御霊を祀るため、航空隊を眼前に眺望できる小塚丘に、昭和33年に鹿屋市が建立したものです。塔の高さは11メートル、塔の上には南海の空に向かって飛び立とうとしている翼を広げた平和のシンボル、白鳩がのっています。桜の花咲く4月には、慰霊祭が行われています。
野里国民学校跡
人間爆弾・桜花作戦を行った神雷部隊は 野里国民学校 (今でいう小学校) を宿舎としていました。 現在の駐車場周辺が、野里国民学校の跡地です。
桜花の碑
鹿屋航空基地近くの野里国民学校跡にある桜花の碑。この地は、神雷特別攻撃隊(人間爆弾「桜花」部隊)の宿舎として使われていました。「桜花の碑」が建つ場所は、出撃前に特攻隊員たちが整列し、別れの盃を交わしたところです。 そして隊員たちは崖側の台地へと続くつづら折りの坂を登り、トラックで鹿屋基地の飛行場へと向かいました。昭和20年春、南海へ出撃していった隊員たちを祀るために、神雷部隊の特攻隊員であった小城久作氏が建立したものです。
高須トーチカ
米軍の本土上陸に備えて海岸部に作られたトーチカ(陣地)です。コンクリートののぞき窓は海岸方向に向けられています。戦闘では使用されませんでしたが、すぐ近くの金浜海岸に進駐軍が上陸しています。
金浜海岸
(進駐軍上陸地の碑)
(進駐軍上陸地の碑)
金浜海岸は、終戦後、初めてアメリカ進駐軍が上陸した場所です。つまり、世界中がこの日(昭和20年(1945年)9月4日)アメリカの日本上陸を見つめていた歴史的貴重な場所なのです。ここには「反戦・平和」の願いの込められた碑が建てられていますが、それによると約2500人のアメリカ兵が上陸したそうです。