特集

【第17回公演】「演出家 松永太郎」特別インタビュー 

演出家 松永太郎さん

☆郷土芸能をこよなく愛し、次世代に繋げ育てる演出家
ヒメヒコ歴:17年目
鹿屋市出身。県立鹿屋高校~筑波大学を経て、沖縄に移住。2006年より故郷の鹿児島を中心に演出家として活動を始め、鹿児島や黒潮文化を題材としたミュージカル「ヒメとヒコ」や「ヤジロウと海乱鬼」「えらぶ百合物語」などを手がける。2015年の第30回国民文化祭かごしま2015では、総合開閉会式やミュージカル「花戦さ」の演出を行った。「ヒメとヒコ」キャストのOBやOGが在籍する鹿屋市発の「劇団ニライスタジオ」代表でもあり、2022年12月には「吾平物語」イベントの中で初披露となった「吾平神楽(かぐら)」の演出を手掛けている。

― メインインタビュアー

― サブインタビュアー 

 

― それでは、よろしくお願いします。

お願いします。

― 今年はまず第二章ということで、全くというか新しい展開になりましたけれども、その経緯というか、太郎さんの中ではどんな思いだったのか聞かせて頂けますか。

そうですね。今振り返ってみると、という感じですけど、だいたい例年、その本番をやりながらここはもっとこうしたいな、みたいな考えが浮かぶんですよ。でも前回は、これをどうしたいとか、というのがちょっと浮かばずに、第一章としての形はひとまずやりたいことがやれたかなという。(その時、第一章って思っていたわけではありませんが)で、終わった後に、来年のメンツを見て、人数が少ないじゃないですか。数が少ないというのと、不幸にも「先輩になれなかった、後輩がいなかった学年」ということで、まだ1年生のまんまだったんですよ。

― そうでしたね。

で、彼らとまた1年やっていく上で、多分今年と同じことをやっても、これ、いいものできないぞと思った時に、じゃあ、どういう戦い方があるかなって・・・。それを考えた時に、思い切って書き換えようというか、次のステップに行こうと。

― なるほど。

やっぱり今の3年生が後輩がいなくて、というのは大きかったですよね。

― そうなんですね。

だから、個々の力不足ということでは全然なくて、やっぱり後輩ができて成長するんだなって思って、成長してないっていうわけではないんですけれども、やっぱりずっと1年生のまんま、2年間来てしまったような部分があったことは否めないと思うんで・・・それでいきなり先輩になったとしても、去年のものを追っかけるだけになっちゃいそうだなと。それだと多分いいものできないので、もう、一発逆転を狙って。

― すごいですね。

彼らも大変だけど、僕ができる努力って何かと思った時に、そういうリニューアルをしてということで、前回のヒメヒコ終わって、結構すぐ構想を練り始めて、多分3月4月5月ぐらいで書いたと思います。

― そうだったんですね。何かの節目だったとか、そういうのではなくて、今の子達の次を見据えての戦略ということだったんですね。

あと、なんで後輩ができなかったかっていうと、コロナ禍なんですね。コロナで中高生のお客さんがいなくて、全く入れないような状況があったりして、やっぱり間接的にコロナの影響を受けているわけじゃないですか。で、そういうことを考えた時に、やっぱりこのコロナ禍っていうのは、僕らにも影響があって、それを作品に、少し歴史というか、あった事実として残しておきたいなっていうのもあったんでですね。

― あ~なるほど。文化・芸能の継承っていうか、コロナ禍の時に、文化系のものって必要なのかっていう、世界中がそういう考え、いろんな意見とか考えを深めることがありましたよね。

はい、ありましたね。

― 多分、そこに繋がっていくことですよね。文化・芸能、特にこの鹿屋だったら、郷土芸能があって、太郎さんもずっとそれを継承するためにいろいろ努力されていて・・・

やっぱり郷土芸能のことをずっとやってたので、鹿屋の。やっぱりことごとく祭りが中止になって、特に伝統芸能の継承者というのは高齢な方が多いので、高齢な方々はこのコロナ禍に到底、練習で集めることなんかできないっていうような常識みたいな風潮になって・・・

― そうですよね。

改めて、やっぱり危機になってたんですね。

― この歴史を変えるタイミングにもなってますね。

そうですね。そのきっかけにはなってますね。

― いろんな意味で、コロナの影響でいろんなことが考えさせられたり、変わったりしてきましたよね。一気に書き上げられたっていうのは、太郎さんにとって、コロナでの衝撃っていうのが、大きかったのもあるんでしょうかね。

ヒメヒコとかも、僕の仕事とかも、こうやって楽しく幸せにできるのは、やっぱり周りの人たちの幸せというかですね。やっぱり平常な日常、平和な日常があってこそのものなんだなっていうのは、やっぱりもちろん思いましたし、じゃあ苦しい時に何らかの力になるもので、やっぱりありたいので、そういうのはやっぱり力になったのかなと思います。

農家の人がお米を作ると同じように、僕らやっぱりそのお米に代わるものというか、生きていく上で必要なものを生み出していかないとっていう時に、独りよがりじゃいけないわけで、やっぱりご飯食べて人が生きていけるように、こういう芸術でやっぱり人がまた再び立ち上がる力を得たいみたいなことが、何ともいいなと思いますけどね、

― 本当に生きる力ですよね。そこに伝えたいもの伝わってほしいものとか、それは本当に必要ですよね。物資的なものはもちろん必要ですけど、芸術とか・・

そうですね。決してその贅沢(ぜいたく)品というわけじゃなくて、必要だから世界中で継承されてきているというか、続いていることなんだろうなって思うんですけど、やっぱり僕ら作る側がこれが必要なんだっていう思いがないとですね。弱いと思うんで。

― なので、昨年結構人が入って、過去最高じゃなかったですかね・・・ヒメヒコ活動の資金になるグッズなんかの売上も、過去最高だったんですけど、入場者も一番多かったんじゃないかと思います。だからもうコロナ禍の反動って言ったらそれまでなんですけど、でもやっぱりみんながそれを求めているっていうのは、すごく感じましたね。今までのコロナ禍前までの努力というか、みんなが継承してきたものが、広まってきたなっていうのはすごく感じて、すごく嬉しかったです。

― しかも去年の公演は、更に演出がすごかったねって話してて、それこそ第一章の集大成みたいな感じで。 ・・・結構、演出変えてたところがあったじゃないですかね。だから、キャストが変わるだけじゃなくて、演出自体も結構変わってたんで、またすごく感動、違う感動がありましたね。

なのに、あっさりまた白紙に戻すみたいな(笑)

― これからどうなるんだろう、みたいな。・・・になってたのに(笑)

ある意味、一つものが完成形に近づいたというか、完成したのかもしれないですね。それをもう一回やろうとしたら、自分がダメなんです。前回のが良かったから、それをまた再演しよう、だと、いいのができなくなる質(たち)なんですよ。僕が。

― やりきった感があったんでしょうね。

なんでしょうね。

― 私も、去年はある意味違ってたっていうか、違う雰囲気だったんですよね。感動の仕方も違ってたし。

― 第二章の構成を仕上げるまで、時間がかかってないわけですから、そんな短期間で不思議ですね。

・・・自分の中から次作りたいっていうのが自然と湧いてきたので、一気にやりましたね~。
決して人からオーダーされたって、本当にできないと思うんですよ。自分でそうじゃないと・・・。ま、勘(かん)ですよね。去年の追っかけたら、絶対しくじるなって。

― 分かるんですよね。創ってらっしゃるから。

はい。勘です。

― 去年は私が個人的に3つくらい、素晴らしいと思った演出があって、一つがこの前お話したサイレントのパフォーマンス、があったじゃないですか。そこで泣けてきたんですけど、だからサイレントシーンって、ものすごい力があるなと思って、そこにいい音楽が流れることですごく感動して・・・その(太郎さんの作曲した)曲が、この前お話したんですけど、イタリアのピアノ作曲家大巨匠ルドヴィコ・エイナウディ監督の「白い雲」(Nuvole Biancheヌーヴォレビアンケ)にインスピレーションを受けてるような感じで美しくて、全く違うとは思うんですけど、インスピレーション的なものが似てるのかなって感じで、そのサイレントシーンに、ものすごく合ってたんですよ。どうして、あそこはサイレントの場面が生まれたんですか?それが聞きたいですね。

手法的なものをやりたかったというわけではないんですけど、自然に稽古の中でやってて、ここは喋らない方が伝わるなって。

― え~、そうなんですね~。初でしたよね。これまでに、そういう場面はなかったと思います。

そういうものができるようになってきたってことですよね。演じる側としては難しいので。

― えっ、そうなんですか。

難しいですね。

― え~、そうなんですね。
あと、ヒコがなくなる場面のところですね。あそこのダンス部のランプの演出が、ものすごいきれいで、その場面が美しいだけじゃなくて、ヒコが生きてきた生き方が、すごく美しく、(美しい心で)生きてこれたんだな、みたいなのが、すごく感じて伝わった場面でした。

ダンス部もすごく一緒に作るのを楽しみにしてくれていて、いろんなアイデアを出してくれるし、普段から自分たちの創作作品をチームで一つの作品だけじゃなくて、ユニットで個人で創作したり積極的に今やっているので、そういったものもあるかもしれないですね。

あと、ダンス部に関して言えば、大学進学してダンスをやっている先輩たちがいるんですね。ヒメヒコ卒業した後も、ダンス部のOBOGで、その人たちが今度大学生になると、いろんな作品を作るじゃないですか。そういうのを見て、また作品を発想する力とかもすごくついてきているなと思っていて。ちょうど年末に定演があったんですけれども、それも、これまでヒメヒコでも活躍してきてくれた先輩が、大学生になってまた作品を作って帰ってきてくれて、すごくいいなと思って。

― そうなんですね。ダンス部もその中で一緒に考えてくれるって、嬉しいですね。

そうですね。創る喜びみたいなものを、近年特に感じてくれていると思って。やっぱりもう何年も、鹿児島県一位をずっと取り続けるっていうのは、もう並々なる努力ですよね。

― 全国のトップレベルですもんね。

そうですね。

― (ダンス部の)先生もやっぱりいろいろ考えてくださったりするわけですか?

そうですね。みんなのアイデアをまとめてくれたりとか、いろいろアドバイスして頂いているのは、もちろんそうですね。

― だから、昨日のお稽古みたいに、ヒメヒコのメンバーとトップレベルのダンス部の子たちが、一緒に何かできるっていうのも、ヒメヒコのいいところっていうか、宝物ですね。

そうですね。

― なかなかできないですよ。そのレベルの子達と一緒にやるとか・・・刺激あると思いますね。

17年目ですけど、17年間一緒にやってくれてるわけですからね。

― あ~、そうですよね。

― 最初っから一緒でしたっけ?

17年、共にずっと一緒です。

― 素晴らしいですね。すごい歴史ですね。

あの、「結(ゆい)」ってあるじゃないですか。

― ダンスの「結」(作品名)ですね。

ダンス部は第1回の時に、まず一緒に出演したんですが、その時、奄美の文化とかっていうところにダンス部が目覚めて、創作して、2回目から舞台に入ったダンスで。

― へ~それはすごい。ずっと変わらずっていうことですね。

そうですね。1回目で一緒にやって、その出会いがあって、そこへの興味から作った作品です。

― へ~。それをダンス部が、ずっと継承しているところも、またすごいですね。

そうですね。

― あと、もう一つ思ったのが、ヒメとヒコがお互いに告白しようとするときの、恥ずかしさを表現するところ、お互い言おうとするけど、言いかけて言葉が重なって、お先にどうぞ、みたいな、あれすごい面白かったですね。あの演出も、今までのと同じ感じじゃなくて初だったから、本当にあるあるみたいで、新しい演出で楽しかったですね(笑)

(笑)プロポーズのシーンって超難しくて(笑) 毎回みんな演じるの、苦労するんですよね。

― そうなんですね。

なんかストレートじゃない伝え方じゃないですか。ヒメヒコの場合。あれは難しい演技ですね~。

― なんか初めてのやり方だったから、すごい新鮮な感じで良かったです。

― 毎回そういうところに、いろいろと変化があるっていうのがいいですね。

― 去年は特にものすごく演出的なものが、なんかこう斬新というか、新しいものがあったというか。

そうですね。

― 今回の公演に関しては、今現在進行形で(細かいところは)まだまだ変わっていくと思いますが、今回はこれを伝えたい、みたいなそういうコンセプトみたいなものがありますか?さっき話した郷土芸能の継承みたいなのは、多分出てくると思うんですが。

ん~・・・でもですね・・・どうなんでしょうね。伝えたいかな・・・あんまり、ないですよ。本番ももちろん大事なんですけど、本番があってこそなんですけど、ヒメヒコのこの1年間を、やっぱりここの門をたたいてくれた高校生と、台本という教科書でもって、本番という目標に向かってどういう1年を過ごすかっていう、僕らにとってそこがすごく大事なので、本番でこれを伝えるためにひたすらっていうのが大事なことだ、っていうことじゃなくて、本当に毎日が楽しいし、そこが充実してないといけないし、その台本っていう教科書から、いろいろそれを素材にして僕ら劇を作ったり、解釈のことをいろいろ議論したりとかして、それは、その1年を一緒に過ごしていく一つの指標というか、手引きみたいなものなんでしょうね。

― だからいつもその台本通りにガッツリっていう感じじゃないですもんね。

そうですね。やっぱり同じ言葉でも、言う人がどういう風に言うかによって全然違うので、だからやっぱりキャストが変わると、演出が変わるっていうことです。

― その子が持っている、雰囲気とかキャラみたいなのもありますもんね。

でも、第一章あっての第二章っていうのは間違いなくて、第一章があってから17年後の未来みたいな、空想上の未来ですけど、設定があるんで、もしこういうことが起きたらどうなるんだっていうような、そういう想像の世界ではあるんですけれども、

― そういう台本っていうか、第二章の物語の作り方、ストーリーの作り方のアイデアって、さすが太郎さんすごいなって思いました。

― でも(メンバー達が太郎さんと)コミュニケーションが取れないと、なかなか全体を組み込むには難しいですよね。

でも、それが楽しいんですよね。これが例えばプロの舞台で分業制でやったら、台本を書く人はひたすら自分の書きたいことを書けばいいわけですけど、僕らは自分たちのチームでできるものを作っていかないといけないから、そういう制限はあるんですけど、それは楽しいんですよね。逆に。

― ヒメヒコのメンバーが成長しているのを見ると、(1年間のヒメヒコで)人生が変わるぐらいの、なんかいろんなことがあるんだなって思いますね。

― それは、本人の努力と、指導してくださる方の指導方法が、すごくいいんだと思うんですよ。

だからみんなにとって、ある意味最適な負荷をかけていくっていうか。

― それいい言葉ですね。

僕も元々体育会系なので、負荷かけすぎるとやっぱりつぶれてしまうし、でも楽なだけだったら何も引き出せないんで、最適な負荷をかけていかないといけないんですよ。だから、それはやっぱり意識しますよね。ここまでだったら乗り越えてくれるんじゃないかって、そのハードルを。

― その子によって違うじゃないですかね。

違いますね。

― 体力的なものもメンタルも違うから、そこをやっぱり太郎さんが見て、上手に今の最適な負荷という方法で導いてあげるっていうのが。

で、タイミングもやっぱりあるので・・・

― そうですよね~。

それがめちゃくちゃ難しいですね。

― 今言うべきじゃないっていう・・・

今言うべきじゃないっていうなっていうのが、いっぱいあるので。ここだっていう時に言わないと。

― 今、言いたいけど!みたいなありますけどね。

そうそうそうですね。それはあります。

― スポーツ系だと、結果だけ持ってくるじゃないですか。文科系と全く違うところですね。

はい。やっぱり、いわゆるストレスというか、目標とか課題との向き合い方とか、攻略の仕方みたいなのは、個人個人でやり方が違うんですよね。そこを見極めて、この子は今結果としてできてないけれども、こういう段取り、彼なりの段取りがあってで順番でやってるはずだから、こういうタイミングでこういう負荷かけていこう、みたいなのは自然とやっていかないといけない。

― 太郎さんは、それが上手なのか~。

― 17年の歴史の中で、それをうまくつかみ出したのっていうのは何かあったんですか?

いや~、やってるうちに、それが見えるようになったんじゃないですかね~(笑)

― 才能です。それは。

どうですかね~(笑)

― ですよ~。それができないと、やっぱりこんなにいいもの創れないですよ。

だから、周りが見てて、この子はあと1ヶ月で大丈夫?みたいなこととかってのは、よくあるんですよ。言われたりするのはあるんだけど、そこはね、なんとなく見えるんですよね。見えてるし、今ここで、やいやい言っても、多分余計できなくなるなっていうのがあるので、ここぞっていう時まで待ちます。

― すごいですね。そこがすごい。!

― ガミガミ言いたくなるじゃないですか。お前、何回教えてるんだよ!みたいな(笑)それを待てるっていうのは・・・。

それはもう、待つしかないですね(笑)

― ギリギリまでですよね。

植物を育てるのと多分一緒で、やっぱりその一番大事なタイミングに、水を与えて、肥料を与えて、適切な量でないと、ただやればいいってもんじゃない。

― そうですね。それはすごい才能だと思う。だからこそ、今こうしてヒメヒコが続いて、キャストたちが育ってきたんだなって、すごく思いますね。

― ものすごく深いんですよ。17年でこれをやってきてるっていうのが。だからもっと引き出しがあるんでしょうけど。劇団だけじゃなくて、何々教育みたいな。

そうですね~・・・。

― でも、多分太郎さんの場合は、教育法とか教え方とかそういう教科書みたいなのがなくて、自然にちゃんとできる、やっぱ才能ですよ。

だからまあ、ここでやってることを、今度はまた第三者が手法とかノウハウみたいなもので、そういう側面から切り出していっても、そういうのは全然ありなんだろうなって思うんですけども、自分でハウトゥーをって言われても(笑)、そこまでできてないんですけど。

― この前の合宿ですごく感じたのは、みんな最後に話をさせた時に、待つんですよね。会社の中では。あり得ないですね。ずっと考えて答えるのに、30秒、1分なんてありえない世界、その空気感がすごいなって。

何分でも待ちますからね~(笑)

それはシンプルに、ああやって考えてる時間っていうのは、彼らはものすごく集中してるわけですよね。それはすごく大事な時間なので、もういくらでも考えてくださいっていう。

― 大人だったらすぐ何か言ってしまうじゃないですか。

はいはい。あれはもう言葉に詰まって、こう考え込んじゃうっていうことが、すごい大事な時間なんで。別に流暢に喋ることがいいわけではない。絞り出すっていう・・・絞り出してる瞬間は邪魔したくない。

― 太郎さんだけじゃなくて、仲間のみんなもそうですよね。

そうですよね。

― みんな仲間がちゃんと聞いてくれるっていうのがすごく良くて、そこで信頼し合ってるって、そういう絆があるっていうのかな。
ある子がヒメヒコの見学に行った時に、全くその場面があって、舞台上で1人1人思ってることを言う時があったんですよ。そしたら1人の子がなかなか言えなくて、結構考えてる時間が長かったんですよ。私もそこにいたから、太郎さん何か言うかな、他の子が何か言うかなと思ってたんですよね。助け舟出すじゃないですか。言えなくて困ってるんだから、こうやって言えばいいよ、とか、別の質問をしてみるとか。でもそれ一切なくて、ずっとみんな待ってたんですよ。それでその子は、やっと話し始めたんですけど、ちゃんと自分の言いたいことが言えて、多分、その子は言えて良かった、聞いてもらえて良かったと思ったと思うし、みんなも言えて良かったねって心の中で思って、それは伝わったと思うし。だからすごいな~と思ってたら、見学してた子も、安全地帯じゃないけど、平和的な所だみたいなことを言ってたんですね。ヒメヒコにはが安心していられるんだっていうことをすごく感じて、その子はヒメヒコに入ったっていうこともありました。

助け舟って、逆に言うと厳しい部分でもあって、ヒメヒコでずっともじもじしてたら、いつか誰かが助け舟出してくれるっていうことは、全体にここはないよっていう。絞り出すまで待つところだよっていう(笑)

― そうですよね。

っていうことのメッセージでもあるんです。新入生にとっては(笑)

― だけど、何よりもいいですね。

だからもうある意味、すぐに言葉が出なくても、ここはしゃべるまでずっと待たれるから、絞り出すしかないって、みんな分かってるから。

― (笑)そうですよね。

― 過去の中では、かなり長い時間もあったでしょうね。

ありましたね~。

― でも、最後はきちんと絞り出して答え出すもんなんですか?

出すもんですね~。ぽつっと一言でいいんですよ。

― そうですね。

それでいいんだけど。

― 一回それを経験すると、次の段階は早そうな気がしますね。

そうですね。なんか、いくら流暢でも、思ってることが伴ってなかったら、話って伝わらないし、演劇の性質自体がまさにそれで、大事な部分っていうのは、表面的にセリフを、雰囲気だけで、表面的な技術で再現しても、それっぽくは聞こえるんだけど、やっぱりお客さんには伝わらなかったりするんですよね。だからもう、そこと向き合っていかないといけないので、やっぱり器用な子は、例えばドラマとか映画で俳優さん見て、それっぽいモノマネはできちゃうんですよ。割とパッと。でもモノマネしてても伝わらないし、で、不器用な子も、いくら不器用でも本当に思いが伝えたいことが、ちゃんと自分の中にあって、それと向き合って、ちゃんと丁寧に演技をしていけばしっかり伝わるし、それは結構、演劇の「乗り移っていく」ことなので。

― それがヒメヒコのすごさだよね。あの感動は。

― 乗り移るってありますよね。

― ライオンキングを見に行っても泣かないけど、ヒメヒコ観に行ったら泣きますよね。

― (笑)全てが揃ってる・・・感動するための全てが揃ってるっていう感じがするんですけど、昨日の練習を見てても、あの段階で私はもう泣けちゃうんですよ。それはやっぱり音楽であったりとか、ストーリーとか、音楽ももちろんあるんですけど、そこにみんなが真剣に、練習とはいえ、真剣に魂込めて一つ一つを丁寧にやってるんだなっていうのが、すごく感じるからなのかなって思いました。伝わりますよね。
場面とか音楽ももちろんですけど、ヒメヒコはそこが強いというか、一人一人が思いを丁寧に伝えてきてくれるっていうかな。

やっぱりみんながすごく好きでいてくれるっていう、稽古場というか、この仲間たちをですね。それはぶつかることもあるし、思うようにならないこともいっぱいあるんですけれども、でも結構やっぱり、本気で、本音でぶつかり合える場所になってると思うので。この間、合宿の時も、毎回毎回の稽古が楽しくてって話してたじゃないですか。それは多分単に自分が演じるのが楽しいってだけじゃなくて、このメンバーとその本番を目指していく過程がすごく楽しいんだと思います。

― そうですね。だから、それがもうすぐ終わっちゃうからって、泣いてる子がいましたよね。それを考えると、悲しいって。

― そうだろうね。どこより自分の居場所だっていう。

本当に、いわゆるロスになるぐらいの体験って、とても良いことだと思うんですよね(笑)

― そうですね~。

濃密な時間ってことですよ。

― そうですよね。そういう(ロスになるという)プレッシャーにも耐えないといけない。濃すぎて(笑)

濃すぎて。ふ抜けになりますからね(笑)

― 太郎さんはいいんですよ。太郎さんは、また次があって、次のメンバーを見ながら、次のメンバーたちと一緒に、行くぞ!みたいな。

でも僕もやっぱり、なんて言うんだろうな、ロスになるんですよ。やっぱり一年間このチームでやってきたわけじゃないですか。なんだけど、その寂しさを、逆に今度は卒業していく精一杯3年間やってくれた子たちに、一年後感謝を込めて、次の世代の成長している姿を見せるっていうのは、またモチベーションになるので。

― そうですよね。うん。

だから今は、去年までやってくれた子たち、卒業した子たちに一番いいものを見せたいっていう気持ちでやってます。それはすごいモチベーションになりますね。

― そうですね~。すごかったですもん。盛り上げ方っていうか、次に行くその切り替えっていうのが。・・・・このメンバーでっていうことで思い出したんですけど、今年後輩が入ってやっぱり変わりましたか?

いやぁ~もう、それは、後輩の力ってすごいなぁ!!って思いました。ほんっとに。

― (笑)

だから、後輩が、先輩を育ててくれるんですよね。

― そうですね。

これは・・・すごいですね~・・・。だから今の3年生っていうのは、1年生の時は1年生、2年生の時も1年生だったわけですよ。3年生になって初めて、3年生になれたっていうか。

― そうですよね。

でも、もう急激に変わりましたね。

― そうですか。へ~。インタビューでちょっと聞いたりはしたんですけど、3年生になって初めて先輩になったけど、どうですかって言って、それぞれの子がいろいろ話をしてくれたんですけど、急激に変わった、みたいなのは、なかなか話には出なかったんですけど・・・。

いや、本人たちは感じてないかもしれない。僕から見て、もう「全員別人」ですよ。

― え~っ(笑)・・・これがじゃあ、本当に大事なことなんですね~。これって、気合いが変わるんですかね?

何て言うんですかね、実行力っていうか・・・本人たちのそれぞれのやりたいこととか、感情とか価値観みたいなものが変わったというよりは、それは変わらないんだけれども、やっぱり後輩が見てると、もう一歩先に自分が動くんですよね。思って終わってたことが、それで終わらないみたいな。一歩踏み出せるようになってると思います。

― う~ん、なるほど・・・勇気っていうか・・・

そうそう。これは、すごいすごい変化で、大事なステップで、思っててもやらないとやっぱり一緒じゃないですか。だけど、後輩が入ることで、思ってたことをやるようになった、実行するところまでいくっていうことが出てきた気がしますね。

― 動ける・・・

実際に動く。

― その変化、面白いですね~。

僕はすごく「実行力」っていうのは大事だと思っていて、思うだけだったら簡単というか、みんな思うわけだしいろんなことを。なんだけど、それを実際じゃあ練習の中でもそうなんですけど、日常生活でも、これがいいと聞いた、これしたらいいに違いないみたいなことを、みんな思うわけですよ。この情報化社会の中で、いくらでもあるわけじゃないですか。でも、実際に動く、明日からじゃあやろうって言って、ちゃんとやり続けるみたいな実行力が一番試されると思ってるんで。情報はたくさんあるわけなので。

― 情報が、ありすぎますもんね。

今ね、だけどやっぱり、情報を得て満足しててもしょうがないんで、今こそ、僕はどれだけ実行するかだと思うんですよね。

― その実行するのは、どんなことでもいいっていうか、例えばランニングとか筋トレとか、そういう細かいことから、演技から全てに表れる感じですか?

そうですね。全然練習に関係ないことでも良くて、思ってはいたけど、気付いていたけど、実際に行動してなかったみたいなことが、さっきの話だと、後輩がいるっていうことが、一つの自分を突き動かしてくれる最後の後押しみたいなのになるんじゃないですかね。すごく動けるようになったと思うんですよ。

― 後輩は先輩を見ますからね。

はい。見られてるってことなんで、背中を見られてるっていうことが、自然と、今まで躊躇してた一歩を踏み出せることになってるんですよ。すごく背中を押されてるんですよ。

― 本当ですね。後輩たちも、元気のいい子がいっぱいいますしね。

はい。本当いい子たちが、いっぱい入ってきてくれたので。それがあっての第二章でもありますね。

― そうですね。

だから台本書いてる時は、まだ見えてないわけですよ。新入生の顔っていうのは。だからその状態で書いたけど、ちゃんとそこに、はまってくれてというか・・・。例えば、今回出てくる「カズヒコ役」を演じるのは、「かずま」だけど、カズヒコの「カズ」とかずまの「かず」は最初全然関係なくて、台本書く中で、ヒコがついた名前にしようっていう風に思って、いろんな何ヒコ、何ヒコを上げていった中で、やっぱり一番すっきりはまった名前が「カズヒコ」だったんですよ。同じく、全く意識せずになんですけど、「ミキ役」をするのが、「」じゃないですか。「み」と「き」が同じで。もちろん、みづきが入って来る前に、ミキって役を僕作ってたんで、そこにみづきが来るっていうのも、また面白いですね。

― そういう子が入ってきてくれたっていうのが、すごいですよね。なんか、呼び寄せるものがありますね~。

呼び寄せるものが(笑)

― それまた、太郎さんの才能だったりして。ふふふ。それは、すごい。ほんと、不思議なことがありますね。余談ですけど、私、今年おみくじ引いて、運のいい名前の人って、見たら「和彦」なんですよ(笑) 

うへ~~~、すごっ!

― すごいびっくりして、わ~っ!ヒメヒコの「カズヒコ」だって。私の相性のいい名前だって!って(笑)

へ~、おもしろ。それはすごいですね!

― (笑)すごいね!

― 私は、なんか、ヒメヒコすごいやっぱり縁があるというか・・・

追い風が吹いてるのかなぁ。

― (笑)なんか、ヒメヒコを頑張って応援しなさいって、神様から言われてるんだな~と思って。ふふふ。

そうことですよ。天のお告げが(笑)

― 天のお告げが(笑)

― で、話は戻りますけど、やっぱり去年は本物の舞台(公演)を見せられたっていうのは、大きかったですよね。

そうですね。去年見に来てくれた子たちが結構多いので、今新入生は。やっぱ、舞台見てもらわないと来てくれないっていうのは、すごい思います。だから、今年も中学生にいっぱい来てもらいたいなと。

― 中学生から、ちょっと知ってもらわないとですよね。早いうちから。

昔はですね、ヒメヒコを立ち上げた頃は、鹿屋にいる子で、そういう舞台系とかをやりたいって子は、鹿児島市までレッスンに行ってる子とかいましたからね。

― そうなんですね。

いました。今、思い出したんですけど。鹿屋にはそういうものはないからって、いうようなことで、極少数ではあるけれども、鹿児島市のミュージカルスクールに通ってるっていう子とかがいましたね。そういえば。初めの頃はですね。

― そうなんですね。本当に鹿屋にヒメヒコを作っていただいてね、ありがたいですよね。いろんな子が、本当に幸せになってると思いますよ。

ありがとうございます。

― 引きこもってた子が、ヒメヒコに入って、舞台で人前に立つことができるようになったり。
コンプレックスを持ってる子が(大体みんな持ってますが)、それを太郎さんの脚本や演出で、上手く克服しつつ自分を発揮できるとかありますもんね。

― また前みたいに、TV取材とかしてもらったらいいんだけどね。

― そうそう、去年結構地元で取材してもらったり、かのや広報などで特集してもらいましたけどね。

― 全国放送したら、実際にこういうのに参加したいっていう声があったもんね。

― そうそう。やっぱり全国の高校生とかにも、やっぱりもっと知ってもらいたいですね。
出張演劇、舞台とかはしないですもんね。できないですもんね。

昔、奄美でやったりしてたので、また奄美とかやりたいですね。やったことはありますね。

― そうなんですね!絶対東京、関東とかでやっても、すごくそっちの方がブームになるんじゃないかなと思ったりして。

そういうきっかけがあったらいいですよね。

― でもその2月の鹿屋でする本番のところに向かって流れがこうずっとあって、最後にそこで完成させるじゃないですか。それを別の所でするっていうのも、また違うなっていう思いはあるんですけど、それはどうですか?

僕が、別の所でするためにっていう思いでやると、多分違ってくるような気もするので、僕はひたすら2月を目指してやって、ただもちろん何らかのご縁があってというか、オファーがあって、こういったことで、ここでこの時期にできませんか?っていうのがあれば、それは全然、またそこから考えることができると思うんですよ。ただでも、最終目的が、結局どこか上京するみたいな感じではないので、そうなったらまたちょっと違ってくるような気がするので。年に1回の祭りを創ってるっていう気持ちはずっと変えずにやりつつ。

― それだからいいんでしょうね。

そこがぶれない方がいいかなと思ってるんで、うん、うん。出て行きたくないわけでは全然ないんですけれども、ただ僕らがそれを考えるっていうよりは・・・もしそういうことがあればそれはできるとは思うんですけど。僕らは2月にちゃんと完成させるっていうことを目標にやっていった方がいいのかな、と。でも、きっかけがあればいくらでも。はい。

― 本当に見たら感動するし、みんなするんですけど、見てない人が多いわけですからね。
だからやり方によっては、それいいですよね。

あとやっぱり単純に鹿屋出身の人がいる、関西とか関東とか、そういうところに行って、自分の郷土の高校生がこんなことやってるんだっていうのを伝えに行く、みたいなことはすごくいいのかな、と思いますね。

― あ~、そうですね。それはいいですね。

かのや会ってありますもんね。案外そういう人たちの方が、求めてくれたりとかっていうのもあるかもしれないですね。やっぱり離れてる分だけ、故郷(ふるさと)の何かを味わいたいっていうのはあるかもしれないですよね。

― そうですよね。そういう気持ちになりますもんね。

ふるさと納税ってやっぱり物ですけど、ソフトでもいいかもしれないですね。これからは。

― なんかいいアイデアがあったらいいですね。これだけの作品、もったいない気がするので。
去年は(太郎さん演出の沖永良部島島民創作ミュージカル)「えらぶ百合物語」がこちらに来て、初めて見たんですけど、いつか島で見たいと思ってたんですけど、まずは来てくれて良かったです。
~そして「えらぶ百合物語」、同じく太郎さん手掛ける、龍郷(たつごう)町青少年ミュージカル「菊次郎ミュージカル」についてのお話をいろいろ伺いました。)

― こちらも見てみたいですし、いろんなところにも広まるといいですね。

ヒメヒコは、僕がこれを完成させることに集中した方がいいと思うので、あれやこれやするよりは。逆に周りからまた見て、それぞれの方の得意な分野でいろいろアプローチしてくれるのはウェルカムだと思うので。

― そうですね。

演出家の僕はもう舞台を作るって事はちゃんとやるので。他に貢献できるものがあれば、それが役に立つものがある事があればいくらでも。

― 何か考えたいね。

― 何かしらネットワークはない訳じゃないので、何かしたいですね。

「20周年記念プロジェクト」なんかしたいですね~。

― やりたいですね~。

― やりたい、やりたい。企画として立ち上げたいですよ。

ですね。今から準備すればちょうどいいですよね。

― あと、この前ご紹介いただいた(ヒメヒコOGの)宮園さんのインタビューさせてもらいましたけど、本当にすばらしかったですよ。(彼女の)活動が、ここから始まったという。
(※インタビュー内容は、「かのやファン倶楽部」サイト内の新特集「ヒメヒコ卒業生インタビュー」に掲載されています)
卒業生のみんながどういう風な生き方をしているかとかですね、いろんな事業をしている方もいるので、やっぱりここでの経験をどう活かしているかとかを、またインタビューして、中学校とかそういったところにも知ってもらったりとか。知らないっていうのが一番やっぱりもったいないと思うんですよね。

それは有意義ですよね。

― 暇な学生って、いっぱいいますもん。

あと去年か今年くらいに教育長が言ってたんですけど、鹿屋市の小中学生でも、相当数学校行けてない子がいると聞いたんですね。で、具体的な数字聞いたんだったかな。ちょっと覚えてないんですけど、や、そんなにいるんだって思って。いやぁ、もし昼間時間あるんだったら、舞台でも一緒にやったら、と思ったこともありますね。

― それはすごくいいですね。

― そういう子、身近にいたりしますよね。引きこもっていて、同期の友達いないわけですよ。
でも、やっぱり一歩踏み込むとね、そこに別の世界があるんですよ。それを知るから次の段階にいけるし。でそれを、学生の時にある程度見せずに、そのまま卒業してしまったりする状況では、かわいそうだと思うんですよね。

だから、学校が合わない子っていうのはいくらでもいると思うし、合わない子をその環境に押し込むよりは、また自分が合う環境を探していけばいいじゃないですか。選択肢としてあればですね。

― 肉体的じゃなくて、ハートを鍛えるってあるじゃないですか。ヒメヒコはまさに、それがありますよね。

そういうことだったら全然やってみたいですね。

― 例えば「演劇」というのは、セラピーになったりすると思うんですね。

多分ね、「演劇」っていうのはセラピーの力ありますもんね。

― (自分が生きやすくなる)きっかけづくりをするために、今いろんなセラピー、音楽療法とか何々セラピーとかいろいろあったりするので、「演劇」で、そういうことができたらなぁと思ってるんですよね。

演劇には、他でないそういうものがあるんですよね。スポーツとかも助け合ったり、人と一緒にっていうことはあるんだけど、音楽セラピーでいろいろ表現したりとかもあるんだけど、演劇っていうののちょっと特別なのは、「違う人間になってみる」っていう・・・ことじゃないですか。それは多分、演劇だけなんですよ。「自分じゃないものになる」っていうのは、多分、演劇が持ってるものですよね。

― あ~、なるほど~。その時だけ自分を解放している、みたいなのがあるかもですね。

そう、普段の自分は忘れて、全く違う自分になってみるっていう経験ができる。そういう経験をして自分が元に戻った時に、何か変化が出てくるのかもしれないですね。

― 自分って何者っていうこと考えるある程度の年齢になると、「自分って何だろう」みたいな、そういう迷いとかある時に、考えるきっかけになる。今まで嫌いだった自分を好きになれるようになる、とかいろいろあるかもしれないですよね。

小説とかそういうのはまた、違う人生を味わうっていう意味があると思うんですけど、演劇だとさらにその中のある一人を、もっともっと深く文字になってないところまで読み解いていくっていう、結構特殊な頭の使い方をしますからね。

― そうですね。

― 台本、セリフ以外のところも多くあるわけですね。

そうですね。特に、自分の役を考えた時に、全部想像していかないといけないんで、行間を。そこまでの読み方っていうのは、小説とかを読むのとはちょっと違うかもしれないですね。

― それは、悪い役でもですよね。

そう、どんな役でも。なんでその言葉が出てきたのかっていうのが、自然に・・・最初って台本を覚えたことを記憶をたどりたぐって再現する、いわゆるモノマネ的なことから始まるのが面白いんですけど、演劇ってずっと稽古してると、まるで自分が発想した自分の言葉みたいになることがあるんですよ。ずっとやってるうちに。だから、そこまでやってほしいって思って。不思議ですよ。なんかもう、自分の言葉じゃないかっていう風になってくるんですよね。そうなったらお客さんはちゃんと見てくれますね。モノマネじゃなくなった時に伝わるんですよね。

― なりきりとかじゃなくて、本当に自分の言葉になるんですね。

なる感触がありますね。どっかのタイミングから。だからセリフのやり取りをしていて、相手と本当に会話してるみたいに、これは何なんだっていう不思議な感覚になることもありますもんね。演じてると、自分と相手のどっちもね。ドライに言うと覚えたことを再現してやってるだけじゃないですか。なんだけど、そうだったはずなのに、特にこれ本番の時で起きるんですよね。もうなんか。自分とその相手がその場でリアルタイムに話をしてるような感覚に陥るところってありますから。そういうのって、多分演劇の独特のまた味わいじゃないですかね。やる方のですね。

― 本当にリアルになるんですよね。

― 見る方も楽しいし、感動するし、聞くたびになんかこういろいろと話しが面白いですね~。

― 今年のその第二章はどんな風にこうすごいっていうか、どんなところをPRしたらいいですかね。

去年までやってたヒメヒコの物語の、その17年後の未来を描いた第二章っていう。

― 17年後の未来っていうところが大事ですね。

コロナ禍とか天災、そういったものが実際に起きてる世の中で、こういったものを創ったっていうのはやっぱり、・・・正月から地震ですからね。

― びっくりしましたね。

― 何が起きるか本当に分かんないですよね。

― 本当にかわいそうですよ。でもヒメヒコの作品が、こういう人たちの、あるいは私たち一人一人の元気っていうか、それに打ち勝っていく、乗り越えていくっていう力になれるってことなんですよね。ヒメヒコ第二章を観ることで。

そうそう、そうですね。

― やぁ、楽しみですね~。

あと少し、もう1ヶ月なんで、頑張っていきます!

― 頑張って下さい!ありがとうございました。

― 楽しみにしています!

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