吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ/あいらさんりょう)は、初代天皇の神武天皇(じんむてんのう 神倭伊波礼毘古命 かむやまといわれひこのみこと)の御父君、天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊『あまつひだか ひこなぎさたけ うがやふきあえずのみこと/ウガヤフキアエズノミコト』と御母君『玉依姫命』(たまよりひめのみこと/タマヨリヒメ)の陵墓(お墓)で、可愛山陵(えのさんりょう 鹿児島県川内市)・高屋山上陵(たかやさんじょうりょう 鹿児島県霧島市)とともに九州神代三山陵(かみよさんりょう)の一つです。宮内庁により、陵墓として治定されています。
古文書などによれば、皇室の祖神である天照大神(アマテラスオオミカミ)の命を受け、アマテラスの孫「ニニギノミコト」が高千穂峰に天降(あまくだ)り、国土を治め始め、代々、「ヒコホホデミノミコト/ホオリノミコト/山幸彦」、「ウガヤフキアエズノミコト」が統治、神代三代(かみよさんだい)といわれます。その御陵は「神代三山陵(かみよさんりょう)」と呼ばれ、ウガヤフクアエズノミコトの御陵(お墓)が吾平山上陵で、その妃(神武天皇の御母君)の玉依姫(タマヨリヒメ:ウガヤフキアエズノミコトの母 海神の娘トヨタマヒメの妹)の陵墓も共にあるというわけです。
吾平山上陵は全国でも珍しく貴重な岩屋の御陵で、御陵のある山を、ウガヤ(鵜葺)の名前にちなみ、鵜戸山(うどさん)、洞窟は鵜戸窟と呼ばれています。陵域は9.35ヘクタール、窟内は3a(約90坪)で、窟内の大きい御陵がウガヤフキアエズノミコト、小さい方がタマヨリヒメの御陵だと言われています。
参道から御陵まで約500m、陵内にある小さな三つの橋を渡り、川のせせらぎをききながら、美しい景色の木々の中、砂利道を歩きます。途中、右手の姶良川に降り、川の水で手を洗い清めます。そんな吾平山上陵の参道は、伊勢神宮の内宮までの道のりを思い出させるので、「小伊勢」とも言われます。
御陵は川の奥にあり、岩屋までの石橋は立ち入り禁止なので、川の手前から参拝します。
※ウガヤフキアエズノミコトは、農業の神様で、豊作、夫婦和合、子宝、安産、延命長寿、開運など、タマヨリヒメは、子宝、安産、豊作豊漁、海上安全、商売繁盛などだそうです。
[行幸記念碑天皇陛下のご参拝(行幸)の記念碑]
1935年(昭和10年)11月には昭和天皇が、1962年(昭和37年)5月には皇太子(今上上皇)・皇太子妃(上皇后美智子)がご参拝されました。記念碑は昭和天皇のご参拝(行幸)の記念として、昭和11年11月に公爵の島津忠重が建立したものです。(※掲載写真については宮内庁に確認をしております。)
吾平山上陵は、近くには大隅広域公園もあり、訪れる人も多い、観光地としても有名な場所です。
お正月の三が日には、初詣客で大変にぎわい、3月下旬から4月上旬には桜の名所として、11月中旬から12月上旬には紅葉の名所として、四季折々の風景を楽しむことができます。
☆案内サービス:
「吾平町物産展示館」に吾平山上陵ガイドさんがいます!お電話でお申込み頂くと、吾平山上陵のいわれ、歴史、自然などをご説明しながら、一番奥の岩屋の拝礼場所までご案内します。電話(TEL 0994-58-5517)。
展示館の開館は火曜日~日曜日の午前9時半から12時半まで。月曜日は休館です。
事前の申し込み次第では、勤務時間外の案内も可能です。
吾平町物産展示館には、皇族の行幸、野鳥、吾平の水害などの写真も展示されていますので、こちらにもぜひお立ち寄りください。