鹿屋航空基地資料館
第二次世界大戦末期、鹿屋海軍航空基地からは908名、串良海軍航空基地からは363名の海軍軍人が特攻隊員として南方に出撃し、若き尊い命が失われました。日本で最も多く特攻隊員が飛び立った地・・・・・・ それが、この鹿屋です。「過去」を学び「今」を知り、そして「未来」を考える場所です。
笠之原滑走路跡
笠野原飛行場は、大正11年に大刀洗陸軍飛行場(福岡県)の離着陸用の民間飛行場として誕生しました。昭和20年3月18日以降に米軍による集中爆撃を受けると、格納庫を始めとする基地施設は大きな被害100%を受けました。東西・南北に一本ずつ滑走路が伸びていましたが、終戦後に払い下げられ、現在は地下道入口が残っているのみとなっています。
川東掩体壕(VR)
掩体壕は、B29などの九州から飛行機を守ったり、アメリカ軍の偵察をカモフラージュするための格納庫で、築かれた200基あまりのうち、現存するのはわずかに1基のみ。戦時中には零戦が入っていたと言われています。
笠之原基地地下道
この地はかつて旧笠之原飛行場として建設され、太平洋戦争末期には 笠之原海軍航空基地となった場所です。基地の施設は、昭和20年3月18日の連合軍の集中爆撃のため、ほぼ全壊しました。このコンクリートの入口は、東西に走っていた滑走路へ通ずる地下道の入口並びに 地下通路指令室として現存しているものです。
電信室(VR)
串良基地から飛び立った特別攻撃隊員が突撃前に送る電信を受信していた地下壕です。2か所の出入口は爆風を避けるためコンクリートや土塁が築かれています。
串良平和公園
串良基地から飛び立ち戦死した特別攻撃隊員・一般攻撃隊員を祀る慰霊塔が建立されています。滑走路跡の2本の直線道路は、桜の名所としても知られています。
大塚山公園
戦争末期、志布志湾からの米軍上陸に備えた部隊が置かれ、観測等が行われていました。頂上付近の展望所からは志布志湾を見渡すことができます。